学びと自論

自分の考えと異なる考えに触れること

多くの人が自分の考えを否定されることを嫌います。 同じような考えをしている場合に、「私もこう考える。」と素直に受け入れることができます。 自身の考えを磨くためにあえて自分とは異なる意見に触れます。 そうすることで、どんどん洗練されていきます。…

発表と報告

似たような行為が故に混同されてしまうことが多いです。 大きな違いは、発表の「表」と報告の「報」です。 表向きに物事が0から一歩踏み出すということです。 発表される前では、ぽっしゃってしまった日の目を見ずにお蔵入りです。 一方、あることを任され、…

他者を理解すること

他者を理解することの大切さは様々なところで主張されています。 そのためにまず自己開示をすること、「知らない相手に心を打ち明けられないから」。 そもそもの前提として、理解することは大切であるが、理解できないことを受け止める必要があります。 人は…

夢は持たなきゃだめですか、

「こういう中学生であるべき」なんてのは大人の傲慢だと思います。 タイトルにもあげました、 夢は持たなきゃだめ、ある程度のお金が稼げればいいという考えがだめ、友達がここに進学したからここに進学するという考えがだめ、 「いいじゃん!その子の価値観…

学校行事

ある学校行事をみました。 現場の教員でないので勝手なことだと承知の上で書きます。 そして、全てがそうだと般化して主張しているわけでもありません。 あくまでこの学校行事の感想です。 学校行事がなんとなく行われてないだろうか、と思いました。 学校行…

人権と道徳をどう捉えるか

人権と道徳 この二つは異なります。 しかし、密接に関連しています。 人権を土台として道徳が成り立っています。 人権が不動なものであるならば、 道徳は人権では包括しきれない遊びの部分であると言えます。 社会的領域理論を用いて、 議論の際に同じレベル…

言葉にこだわる

「より良い」、「望ましい」、「主体的に」という一見「良さそう」な言葉にこだわる必要があると思います。 日常的な会話において、特に問題となることが少ないように感じます。 私自身もこだわることなく使うことが多々あります。 はっきりものを述べること…

目的が決まっていれば方法はなんだっていい

目的を定めるのにどれだけの時間をかけるだろうか。 授業をすることになった時に 素材研究 教材研究 指導研究の順に行っていくと考えられます。 の前に「なんでこの授業するの」の問いに向き合う必要があります。 この目的をどう設定するかで授業が決まって…

子どもにより選択の幅を設ける

子どもにある程度行うことを定め、 子どもにそのレールをあるていくことを求めているように感じます。 子どもにとってそのレールを歩いていけば倖せだからと、、、 そのレールをどうして一本しか設けないのだろうか。 何本か設けるべきだと思います。 または…

集中講義終了

三日間の集中講義が終了しました。 モラルスキルトレーニングの道徳授業の方法を学びました。 スペシャリストよりゼネラリスト。 いくら道徳授業が上手くても、ある一つの授業方法に固執していてはなりません。 生徒の実態に即して、様々ある授業方法をチョ…

別れがあればそれ以降の人生を価値づける

親友との別れ、恋人との別れ、伴侶との別れ、 自分の意思とは関係なしに突如訪れます。 その別れの瞬間、それ以降はその悲しみそして寂しさに襲われます。 もうどうしようもありません。 彼と一緒に過ごしていたらどれだけ倖せであっただろうか。 彼女と一緒…

流動的な進歩主義的アプローチ

道徳教育の方法は、伝統主義と進歩主義とロマン主義という3区分で捉えることができます。伝統主義は、社会的な規範や習慣を伝達する立場です。ロマン主義は、子どもの中にある道徳性の芽をそのまま伸ばしていこうとする立場です。その中間に両方の側面を有す…

道徳授業の記憶

道徳の授業は現在、小中学校で週1コマの授業はありますが、教科ではなく、領域です。それが、今度「特別の教科」となります。戦後の道徳教育は、国家主義的色合いが濃かったとされる「修身」へのアレルギーもあって軽視されてきました。実際、にどんな道徳…

「悪口」を考える

悪口はいけないことである。 悪口を言う人は嫌な人である。 悪口を言うことは不道徳なことである。 悪口を言う人は孤独になる。 悪口は災いのもとである。 悪口を言う子どもを注意する。 悪口を言われると人は傷つく。 「悪口」はいけないことでしょうか。 …

集中講義が終了

3週にわたる集中講義が終わりました。 大変有意義な時間を過ごすことが出来ました。 ここのレベルまでくると、ほとんどが再認識・再確認にはなりません。 自身の能力不足に落胆します。 しかしながら、一点確固たる自信をもって主張できることがありました。…

安易に問題としていないか

私自身がよくある問題を「問題だ」としてしまうことがあります。 先日のブログでも述べました、二つの認知的誤謬も関連していると考えられます。 タイトルの安易に問題としていないかと考えたのは、 ある事象に対しての思考がなされていないのではないかとい…

価値基準は教師にあるのか

教師がその子の行為を認めてあげることにより、その行為は価値付けがなされます。 例えば、教室にゴミが落ちているとします。ある子どもがさっと拾い上げてゴミ箱に捨てました。教師はすかさずその行動を認めてあげます。そうすると、教室に落ちているゴミを…

無責任な「子どものためですから」。

「方法論的間人主義とは、相互依存的自己観に立ち、人間存在を社会(世間)と統合的なものとしての間人と捉え」、「〈縁〉の下で取り結ばれる間柄のあり方に注目して、社会および個人のあり方を明らかにしようとする立場である。」。(松本浩司『〈ともに歩…

大学院の意味

大学院に何しに行くのか。 各々の目的があって良いと思います。 私は、「道徳」をもっと学びたいと思って進学を決めました。 しかしながら、それはインプットの視点です。 課題をこなし理論を修得していく、そう思っていました。 ほんとうは内化と外化を繰り…

チームのないチーミング

「チーミングは、協働するという「活動」を表す造語であり、組織が相互に絡み合った仕事を遂行するための、より柔軟な新しい方法を示している。活動的なプロセス」です。 メンバーが、目的達成とともに解散する、流動的な集団へと変わりつつあるいま、 チー…

学校という場を考えると

「学校」という場を考えていくと、 学校「であるからこそ」の場であることがわかります。 つまり、学校という特異性を生かして教育活動が行われるべきです。 学校じゃなくてもいい、AIがある水準に達したら教師はいなくても良いという論調は、学校という場の…

1人の時間も大切

余暇の話ではありません。 授業に関してです。 ある映像(T大学の付属の学校)を見た。 それは、1時間の授業で教師が3分程度話したら「ひとり時間」。 シーンとしている。TーCの関わりもなければCーCの関わりもない。 ただ、ひとりひとりが思考している。…

キャリア教育研究会

まず、 三日間の集中講義が終わりました。 面白い! 出逢いが出逢いを生んだと言えます。 紹介してくれた友人に感謝です。 午後からキャリア教育研究会に参加です。 新たな出逢いに感謝です。 「進路指導してます。」 「職場体験学習をしてます。」 「職業観…

出逢いがすべてなんだな

出逢いは 人生のすべてです。

道徳性は同心円的拡大による道徳的慣習を目指す⁈

道徳授業の目標は道徳的実践力を育成です。 元小学校教員の深澤久先生は道徳授業の目標として「生きる"構え"を育てる」と断言しています。 そして、仮説的結論として、「美意識」を育てるとしています。 そしてそれが道徳教育の目標である道徳性を養うことに…

何がなんだか

「うっ!」 身体が自分の力では起きない、 お腹の筋肉がやられています。 黒い幕を剥ぐと、ものすごい光が目に飛び込んできた。 「開けられない、、、」 手で覆いながら少しづつ光を 入れていく。 よし!やるぞ!

最先端は「最先端」ではない

最先端と言われるものは「最先端」ではありません。 「最先端」は、最先端として顕在化していないが地球上に存在する最先端であることです。最先端を顕在化した最先端とするならば、「最先端」は潜在化している最先端といえます。よりホンモノは「最先端」と…

思考停止の悪

アーレントは 思考停止が悪を生みだすと言います。 悪までとは言いませんが 思考しないことがいかに愚かなことかと痛感します。 「線が一本描かれた絵がなんであんなに高いんだよ。」 「(一流実践家の授業を見て)あーこうすればこうなるんだね。」 いいえ…

ぎくばったん

タイトルに意味はありません。 コトバという手段を用いて他者にものごとを伝えています。 そこには、相互誤解、相互不達、相互抑圧があることを見極めなくてはなりません。 コトバの限界を意識するのです。 「愛してる」は伝わらない。 何事があっても「愛し…

これからの学校教育を担う教員の資質能力の向上のための予算

これからの学校教育を担う教員の資質能力の向上のために当てられている予算額を知り愕然としました。 初任研、「お金かかるけど行く?」 「はい!いきたいです。」こうであってほしい、と思う。 そのくらいの覚悟があります。 しかしながら、選択制にさせて…