何気ない温もり

何気ない温もりとは何でしょうか。人それぞれあると思います。私は、人と関わりの中で、日常にある当たり前と思われがちな事象が醸し出すモノではないかと思います。生まれてから高校を卒業するまでの十八年間、家でご飯を食べてきました。これは全て何気ない温もりがあったのだと感じております。その時は、なかなかその温もりを感じないものです。それは、「何気ない」モノであるからです。そしたら、これはあとから「であった」と感じることができればいいのでしょうか。「であった」であることが望ましいのでしょうか。私は、「である」という意識が大切なのではないかと思います。それは、感謝が生まれるからです。先のことを取り上げても、ご飯を作ってもらって一緒に食べるということは日常となり、感謝の気持ちをその時にはなかなか感じにくいモノです。私自身のその時にはあまり感じてはおりませんでした。しかしながら、同じ時間を共有し、温もりを感じさせてもらえていることに感謝する必要があったのではないかと思います。

何気ない温もりは他には何があるのだろうか。人と人が関わり場にはそれは存在するはずです。今の私にはそれを見極め感性が不足しているように感じます。

一歩づつ進んでいこう。