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心情主義の心に響く道徳授業はないのか!?

心情主義の心に響く道徳授業はないのか、

そんなことはないと思うが、見たことがないというものが多いです。

第一線で道徳に向き合ってきた先生もまだ出会ったことがない、とのことです。

 

心情主義を批判するつもりはないが、

心情主義の心に響く道徳授業が存在すると仮定するならば、

なぜ長年行われ、現在でも多くの場面でおこなわているのでしょうか。

 

道徳授業方法は多様性であるべきです。なぜこの時期にこの生徒にこのことを考えさせどのような展望を持っているかを明確にした際に、数多くの方法からbetterな方法をチョイスし、単体で、また組み合わせて行うことにしていきます。

 

あくまで仮説です。

「この時、マサオくんはどのような気持ちだったでしょう。」という気持ちを問う発問が副読本の指導書の発問の大多数を占めています。中心発問に至っては、ほとんどがそうであると言えます。

つまり、主題観を磨かずに、指導書の通り授業をこなすことで、気持ちを問う授業になってしまいます。ゆえに、このような教師が行う心情主義の道徳授業は心に響かないのです。

 

言いたいことは、「心情主義」に問題があるのではないということです。

むしろ、長年心情的に訴えてきた日本人らしさで言えば、適していると言えます。

なので、「教師の哲学的探求」の欠如であると思います。

「観を磨」こうとしない教師が探求する以前に、探求するための軸となる教師の「哲学」が明確でないのです。

 

私自身が振り返らねばなりません。

以前、好きなことを生業にしたいという願望は、やらされたことだけやっていて叶えようとすることは図々しいとブログに書きました。

私はもっと「観を磨く」必要があります。自分のぬるさに反省の連続です。