一斉授業
問題なのは「大半」が「教師主導型」の一斉授業であるからである。このことを踏まえて考える必要がある。一斉授業が問題なのではない。アクティブ・ラーニングの授業を取り入れつつも、指導観にあわせて一斉授業を効果的に行う必要があるのである。一斉授業には、ねらいとフレームが存在する。21世紀を担う人材育成のための教育として、今まで通り大半を教師主導型の一斉授業とするのではなく、また一斉授業とアクティブ・ラーニングの二項対立で捉えるのではなく、多様性のある教育方法が望ましいと考える。教師の立場として考えると、方法論的に教育をとらえるのではなく、目の前の子どもに目を向けて、そのうえで磨かれた指導「観」から方法を適用させていくことが重要である。そして子どもたちの「なぜ。」を引き出すのである。その指導観を磨いていくためにも、「哲学」をもって教育に臨みたい。
教員養成課程における、「今はこうなんですよ。」という断定がある。それが初期段階からすることにはさらに危険性を感じる。
上は、「私の考え」の一つである。
・観察実習を実施、多くの学生が9割以上が肯定的な意見であった。
具体的には、表面的のみで「AL」のあり方が正と捉えてしまっている。
大学での講義の「AL」にも差があるのだが、「AL」とはいえない「AL」も正と捉えてしまうことも要因だと思う。
・「一斉授業」を否定しているわけではないが、デメリットが突出している。
上記にも書いたが、問題は「大半」が「教師主導型(教員による一方向的な講義形式)」の一斉授業となっているからである。
「一斉授業」が全員参加の「アクティブラーナー」になる事実も示してほしい。
表面的には全員が前を向いて座っているだけである
大学を卒業して新任として、教壇に立つ。
「AL」のあり方を鵜呑みにして、行う日々の実践。
指導力も身につかない。
子どもに働きかける力を持った教師は、その後身につけることは不可能に近い。
直球勝負と変化球の比喩に類比している。
私は現時点で、変化球だけで勝負をすることはしない。