心情主義がダメ!?

心情主義のアンチテーゼの勢いが増しているように感じます。

文部科学省の「心情主義に偏った授業」に対する問題視が影響しているのではないかと考えております。

確かにと考えるところもあります。

しかしながら、心情主義が問題なのではなく、「偏った」心情主義が問題なのだと考えます。

 

このことに関しては、以前のブログに書きました。

 

続いて「感性」の観点から考えていきます。

感性とは、言葉になる前の、非言語的、直感的、主観的な知覚と判断です。

感性は、理論的な思考回路を介さずに非意識的に働いています。

 

 

ある事象ーー「材」ーーに遭遇しました。

 

ここで真っ先に働くものは感性です。

 

「体験」と「経験」は異なります。多くの方が勘違いをしているでしょう。

私もそうでした。

数多くの体験のなかから経験となります。

 

つまり言いたいことは、道徳的行為において、 感受性の世界の感性から悟性を介して論理性の世界の理性につながるのです。豊かな感受性の世界なくして、豊穣さのある理論的な世界は存在しえません。

 

したがって、感性だけでもダメ、理性だけでもダメ、両方があっても悟性の存在がなくてもダメなのです。

 

感性を鍛えるには心情主義は効果的です。なので「偏る」のがダメであって心情主義がなくてはなりません。

 

哲学の確立されていない教師が、道徳授業の主題観が磨かれているわけがありません。

このような状態で心情主義ベースの授業を行うのです。

その結果は、みえています。

心に響く授業になるわけがありません。

それを受けて、心情主義に偏らない授業を、となるのです。

そして表面的な解釈により道徳授業が歪んでいきます。方法論ありきではいけません。

「なぜこの時期にこの資料を使って目の前の児童生徒に対して授業するのか」を即答できるまで探求せねばいけません。

 

心情主義に偏れと主張したいのではありません。

多くの研究者、実践家が方法論を提唱しています。

上記に述べた、哲学的探求をもとに多様な方法で授業を構想すべきであると

考えます。

 

「あったか」雰囲気を目指して、、、