道徳教育の哲学的探求
哲学的探求の必要性をよく述べています。
ただ現場の先生はお忙しい毎日。なかなか時間がつくれません。
そこで思いました。
「よし!研究授業だ!頑張って作るぞ!」ではないと思いました。
野中信行先生の「味噌汁・ご飯授業」につながりますが
「日常的であること、学力を保証すること、全員参加を図ること」です。
哲学的探求も、「日常的に、AからA'(A+A')にし、どうして全員の生徒の心に響く」であるべきです。
懇親会、ある先生がふっと席を立たれて、別の先生のところへ。
柔の話が大部分を占めている空間、硬の話が、、、
そしてときどき柔の話に、、、そしてすーっとまた別のところへ。
この場面で、なんで、なんのために、どうして、
を探求します。
言いたいことは、「材ー素材」との出会いを出逢いに、感動するということです。
「あの子たちにも」と考える。
日常的に「材」との遭遇、「真の関係」を目指します。
それを繋げる。そして統合して自己産出を試みる。
まだ見えませんが、
方法論では、ないところで捉えてみたいです。
私自身、ものごとに対してシステマチック的な思考がなかなかできません。
反省です。
好きなことでメシを食べようとする、
これを与えられていることだけして叶えようとすることは
本当に図々しい願いなのだと感じます。
私には、まだまだです。