大学院の意味
大学院に何しに行くのか。
各々の目的があって良いと思います。
私は、「道徳」をもっと学びたいと思って進学を決めました。
しかしながら、それはインプットの視点です。
課題をこなし理論を修得していく、そう思っていました。
ほんとうは内化と外化を繰り返していく。
意識的には、PDCAサイクルではなく、OODAループです。
何度も失敗を繰り返して、新たなものを生み出していく。
かつチームを構成して、回っていく。
朝から晩まで好きなだけ好きなことを学ぶことができます。
将来、家庭を持ち、時間的余裕がなくなること、
学んでから進むことで、現場に入ってしまってはみることができない視点で現場に入ってから日々学ぶことができること
ただ、大きなリスクだと考えます。
まず金銭面です。
国立大学であると、入学料、授業料、その他学習費で150万円以上はかかります。
教員で働いていた機会費用で考えると、それにプラスして、1000万円以上のお金がかかっています。
そのお金をかける覚悟です。
次に、意識の問題で、いくらでもぬるま湯に浸かれるということです。授業もあまりありません。個人の裁量でいくらでも易きに流れます。本気で学ぶことを好きにならなければなりません。
これはあくまで教員養成系大学院です。
これだけ大きなリスクを背負って卒業した際の自身の変化が楽しみです。
この4ヶ月で確実に力がついてきていることが実感できます。
このきっかけは、すべては2年半前から、、
学部の三回生の時、教員研修にお試しで同学年から私を含めて6人の学生が選出されました。
その際に、「A中学校に行きたいです!」と担当の先生にお願いしました。
一回生の時の特別講義、夏の学校訪問がきっかけです。
そして出逢いです。
オリンピックシーズン、
「報道ステーション」にて、「ひとは変われる」といっていました。
高校時代まで、落ちこぼれ何事もうまくいかなかった毎日、
大学受験の失敗、それからの数年で変われたのでしょうか。
まだまだです。
Carly Rae Jepsen『Call Me Mayby』
「I’d trade my soul for a wish,
この願いが叶うなら、魂と引きかえだって構わない」