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無責任な「子どものためですから」。

「方法論的間人主義とは、相互依存的自己観に立ち、人間存在を社会(世間)と統合的なものとしての間人と捉え」、「〈縁〉の下で取り結ばれる間柄のあり方に注目して、社会および個人のあり方を明らかにしようとする立場である。」。(松本浩司『〈ともに歩む〉キャリアー方法論的間人主義的関係性アプローチに基づくキャリア発達・進路指導理論の新しいパラダイムー』2014年)

 

心理学者のリー・ロスは二つの認知的誤謬を示しました。

 

「根本的な帰属の誤り」と「素材実在論

「根本的な帰属の誤り」は、個人の行動を説明するにあたって、個人の性質や能力的な面を重視しすぎて、状況的な面を軽視しすぎるということです。すなわち、人間は人の行動を根拠なくその人の「種類」によって決定されていると見る傾向があり、社会的かつ状況的な影響を軽視する傾向があります。うまくいかないのは、「人」にせいだとします。

 

「素材実在論」は、「人間が持つ〈自分は認識しうる不変の客観的事実をよく知っているという動かしがたい信念〉のこと」です。(エイミー・C・エドモンドソン『チームが機能するとはどういうことか――「学習力」と「実行力」を高める実践アプローチ』 2014年)

 

方法論的間人主義の立場から子どもをみることが大切だと思います。しかしながら、多くの人が認識的誤謬を犯します。これにより子どもの学びの機会を消失させていると考えられます。子どもが何かに失敗した時、その失敗の種類に限らず、非難や説教を行うこと、子どもが自身の考えに対して、不意に異議を唱えたら、それに対して不快に思うことがあります。

 

子どもがかわいそうです。せっかくの学びの機会が、、、。

大人にとっては当たり前のことでも、子どもにとっては一つ一つが大切な挑戦なのです。その挑戦している姿を認めてあげたい、思いっきりぶつかってほしいと思います。しかし、以前のブログにも書きましたが、思いっきり「失敗」をさせながらも、「命を失うことと後遺症が残ること」の最悪の事態は避けなくてはなりません。未熟な子どもを守る大人の責任です。

 

この誤謬を克服するには認知努力が必要になります。

私は、二つのあると思います。一つ目が「思考すること」です。その思考する際の立場の一つとしての方法論的間人主義をあげました。二つ目が「謙虚さ」です。謙虚に学び続け、自らの言動を省察し続ける姿勢が大切になります。

 

 

ぼくは、温かな雰囲気「に」子どもを包んであげたい。