「悪口」を考える

悪口はいけないことである。

悪口を言う人は嫌な人である。

悪口を言うことは不道徳なことである。

悪口を言う人は孤独になる。

悪口は災いのもとである。

悪口を言う子どもを注意する。

悪口を言われると人は傷つく。

 

「悪口」はいけないことでしょうか。

 

先に結論を述べますと、私は、悪口をいけないことだと思いません。

 

まず、悪口の定義を考えます。

ウィキペディアによると、

「悪口(わるくち、わるぐち)とは、他人のことを悪くいうこと、悪態をつくこと。古語の悪口(あっこう)は、根拠もなく言葉によって他人の名誉などを傷つける行為、もしくはそれによって成立する犯罪で、中世の日本では規制された。」

 

人権侵害です。絶対にあってはなりません。

そして、断じて許されることでは、ありません。

 

しかしながら、悪口を「悪口(わるくち、わるぐち)とは、他人のことを悪くいうこと、悪態をつくこと。」と現代に近い意味で捉えたとした場合に、悪口はいけないことだと思いません。もっと、正確に言うならば、悪口は「必ずしも」悪いことだと思いません。

 

このように考えた理由は、関係性が考慮されていないからです。つまり、ある関係性によっては、「他人のことを悪くいうこと、悪態をつくこと。」が「他人」にとっては傷つくとは言えず、むしろ、ポジティブ方向に感情が動くことがあります。

悪口自体には意味はなく、悪口がいけないことになる可能性が多いというだけです。

現代における、人間を取り巻く環境や状況を考えると悪口が「いけないこと」になる可能性が高いといえます。なので、一見悪口はいけないことだと判断されてしまいがちです。

 

例えば、中島芭旺『見てる、知ってる、考えてる』という本にこんなことが書かれています。『「馬鹿」という言葉にしても それはいいことでも悪いことでもない。 言葉に意味はない。』。

 

腹を立てている相手に「馬鹿」と言われれば、傷つきます。

愛している恋人に「馬鹿」と言われれば、倖せです。

 

 

言葉や行為に意味はない。

 

いいことか悪いことか、道徳的か不道徳的か

それを決めるのは関係性、そして、人間を取り巻く環境や状況です。

 

 

したがって、私は悪口は悪いことだと思いません。