子どもにより選択の幅を設ける
子どもにある程度行うことを定め、
子どもにそのレールをあるていくことを求めているように感じます。
子どもにとってそのレールを歩いていけば倖せだからと、、、
そのレールをどうして一本しか設けないのだろうか。
何本か設けるべきだと思います。
または、子どもによりそのレールを描いて歩いていけばいいと思います。
歩いていくには子どもが歩こうと思わなければ前には進んでいきません。
子どもにレールを選ぶ権利があると思います。
パチンコに行きました
友人についていきパチンコへ。
友人の隣に座って眺めていました。
初体験、こういう世界があるのだと知ることが出来てよかったです。
楽しかったです。
その人が‥
人は生きてることで行う選択が1日に何回も訪れると言います。
それは、二者択一というわけではなく、その時の状況により複雑に存在しています。
そこで、私がその選択の基準として多く用いているのは、「その人が‥」というものです。特に、意識はしていなかったのですが、考えてみるとそれが幾度となくありました。
例えば、師と仰ぐ先生がこういう音楽を聴いているとわかった時に、その音楽そのものではなく、「その先生が来ているなら」という選択の仕方をします。
また、言葉に関しても、「この先生が言っているのなら」となります。
しかし、これは逆にも言えます。
「その人が‥ないなあ」ということです。
物事をみるときこの視点のみではいけないなと感じていますが、影響が大きいように思います。第一の好奇心を喚起することを考えると必要に感じます。なので、段階に分けて捉えるようにしたいと思います。
まずは受けとめること、それをどうするかはその時々で精査する。