外ばかり見るなよ
中澤渉『日本の公教育』
教育現場で柔軟性やリスクのある選択を許容するような雰囲気がなければ、創造性が育まれるはずがない。また本来、そうしたリスクを許容する場所が、学校なのではないか。
いかに現実世界に近づけるか?
遠藤貴広(2003)「真正の評価」大人が現実世界で直面するような難題の中で行われるものである。
評価課題の文脈を現実に近づけることが、ウィギンズの「真正の評価」論の評価活動の基本である。
自分で生きている
2人の女の子、「さきに行っちゃうよ。」と言い、ひとりの女の子が付いてきた、後の子は遅れている。目配せをしながらもその女の子と手を繋いで歩いていく。すると、遅れていた女の子が泣き始めてしまった。「私も行く」
遊びの時間が終わりお片付けの時間。お片付けが終わると遊び始めてしまう。次の活動はおやつの時間。そのためには着替えなければいけないので声をかけるが、なかなかお部屋に入らない。お部屋に入ってもなかなか着替え始めない。いよいよ、着替えを始める時、「〇〇先生、衝立になってください。(あー着替えやすいように隠すんだなあ。)〇〇ちゃんと〇〇ちゃん間に入って、一緒にいるとなかなか着替えないので、、」服を脱ぎ始める。それでもなかなか着替えが進まない。やっと着替えが終わると汚れた服はそのままに他の活動に行ってしまった。(声かけ損ねたなあ〜)
おやつの時間。ゼリーを食べるぞ。紙でできたスプーン。しっかり折らなければ、食べづらい。ゼリーを掬って口に入れるという課題がある。しかしながら、道具として機能しないスプーン。先生が「こうやって半分におります」と説明した。縦ではなく横に折りだす。問題に直面している子ども。なかなか上手く折れず、食べ難いながらもそのまま実行している子どももいる。出来るだけ「正解」を言わないように子どもができるまで待つ。途中までやっても結局たどり着けずには平らなまま食べる子、反対側で掬って食べる子。
「誰にでも同じように機能する訳ではない。」
砂場にあったバケツ。なかには砂場の砂と沢山の水が入っている。お片付けが始まり、沢山の使ったモノを洗い場に持って行き砂を洗い流す。このバケツはそのままになっていた。ただ、先輩の保育者は全てを片付ける行動を見ていたのさで、そろそろ片付けてもいいかなと中身を出して洗い場に持っていった。すると、そのバケツを使っていた女の子から「あ、捨てちゃったの」と、、、。どうしたらいいかわからなく、ただひたすらにごめんねと謝り、どうしよう、、、砂拾ってくる?、どうしたらいいかなあ、本当にごめんね、と。取り返しのつかないことをしてしまった。自分の世界でしかものごとが見えていないことを実感した。
FBの大切さ
対人関係スキルは変化を感じづらいが、フィードバックをしてもらえることで実感できる。
出会い
ひととの出逢いを超える財産はあるだろうか。ひとりのひとが発する言葉、表情、動作、雰囲気、そういったものに触れる倖せ。深く関わることで、そのひとりひとから深いストロークを受けることが出来る。深ければ深いほど倖せ。相手から深まることを待たず、素敵なひとには自分から。いまとても感じる。
ばあちゃんの言葉
思いやりがある子
自分好き勝手なのはだめ
こういうのは人が嫌がるとかわからないとだめ
おれはおれはって感じの女はだめだなあ
自主性もある程度なくちゃ困るよなあ
じゅうじゅんすぎてもこまるなあ
自分を持ってなくちゃ
言いなりってだけでも困るし
人の痛みが分かる子
お前ばっかよくたって
むこうがいいって言わない。
失って気づく
「早くご飯食べちゃいなさい」「テレビばっか見てたらだめよ」‥「あ〜うるせぇ‥何々しろとか、何々しちゃだめとか、うざいんだよ」。‥ぼくは何を考えていたんだろう。
「元気ですか。ちゃんとご飯食べてるかい。どうしたの。」‥(ばあちゃん、今の僕全然だめだめだよ。うるさく言っていいのに、)