アイデアは百番煎じ

いいこと思いついた、こんなこと考えた、こんなこと考えてしているとか。

これはだいたいだれが言っている。

もちろん「アイデアは百番煎じ」も元を辿れば誰かが言っている。この現実は受け入れなくてはいけないし、言葉を発する時は、常に謙虚さ持たなくてはいけないということ。楽天の社長さんが記憶が不確かだけど、30年前より100万倍のスピードで情報が行き来していると言っていた。これが背景。フラット化した情報社会。情報の質や保有率の価値がどんどんフラットになっていく。

そこで、この百番煎じに対抗するには、自分をかけるしかない。さらにいうならば、自分の体験をかけるのだ。こうすることで、一番煎じと化す。しかし、百番煎じと自分の体験をかけたものは、とことん磨きをかけなければ光らない。そうであるならば、百番煎じのアナロジー思考を繰り返し、抽象化した事象を転用し自分の体験と掛け合わせるのである。元データから出来る限り離れるように努める。

ここでの主張は「人のために生きるそんな幸せはない」言葉は祖母の言葉だ。ただ、これは利他の概念で多くが語られてきっている。これを、祖母の生き様に照らして具体的行為と結びつける。その具体的行為後にこの言葉を発する。そしてそれを私が聞いたというエピソードへと展開する。そうすることで、抽象化してしまえば、なんでもないことが、少し価値を持つような気がする。

イデアは百番煎じに抗い、自分の体験をかけるを主張したい。

結局これも百番煎じだろうなあ。