学校に行けたら花丸

子どもにかけることではない。教師として働く者への言葉である。

結論から、僕は失礼なんじゃないかなと思う。

もちろんこの言葉は、懸命に働く者への安心感を与え、明日も頑張ろう、そう勇気づけるものなのかもしれない。

ただ、これを聞いたら、子どもたちや保護者には失礼なんじゃないかなと思う。

理由は、一つ。明日には、明日の業務の目的があって、それをこなさなければ、そのしわ寄せが子どもたちや保護者にいってしまうからだ。このスタンスで臨んだ明日の業務に対して、その火種が大きな問題を起こすことにもなりうるからだ。

ここで整理しておきたいのは、不安を抱えた当事者にこの言葉を投げかけた者を批判しているのではない。この言葉を真に受けて明日を「学校にいけた」をゴールに設定した者を批判しているのだ。批判するなら代案を。

こういう言葉をいただきながも、自分なり明日の業務の目的を意識して働くことである。わからない時は聞いてみようと思う。

学校に行けたら花丸、思考停止は失礼である。