情報量が少ないだけ

なんで似たようなセリフを考えつくのだろう

それぞれ人間関係があっていろいろなみかたがあっていいはずである

このワークシートに記入する際似たような意見になる

人間は似たような反応を選択するのであろうか

 


しかしながら選択の基準は異なり

ある資料の主人公の気持ちになったとしても

様々な要因を考えつくはずである。

 


読み物資料は圧倒的な情報量の少なさから

反応の選択が限られてくると考えられる。

 


作者自身も自作した場合そこに登場する人物をどこまで理解しているかはわからない。

ある程度自身の生活歴からこういう人かなあというカテゴリーにいれるのである。

それに対して読み手もそこに入ったカテゴリーを読み取り想像のカテゴリーを形成しいれる。

それは、作者のカテゴリーに寄せつつも自身のフィルターを通していることからそれをベースにして想像のカテゴリーを形成する。

 


道徳教育では、そういうものではなく、基本的にリアルでその時の反応の選択をした方が良いと思われる。

想定内のこともあるが、情報量が少ないがゆえの想定外の場面に出くわすことも多々ある。その幾多ある場面に対して、スキルを身につけるには、道徳授業だけでなく道徳教育として行うことが必要となる。

 


ケアリングの視点から関係の構築に没頭するとき、できるだけ情報をえる。

そして、構築された段階で相互作用が成り立つと言える。道徳教育には、ケアが必要不可欠である。