失って気づく前にできるだけ観よう思う

人は哀しみを知った分だけ優しくなれると言うけれど、優しくなりたいと願う人も望んで哀しみに遭遇しようとは思わない。自ら望んだわけでもないのに突如哀しみはやってくる。突如襲われるからこそ、人は優しくなろうと意図しなくても優しくなってしまうのだ。

 


自ら優しさを得るのではない。自ずから優しくならざるを得ないのである。

 


失ってみないと気づかない幸せがある。

 


それは当然のようにそこにあったものがなくなったときに顕在化する。健康とか親とか仕事とか。人生はあることとないこととのせめぎ合い。あるときにはないことを想定できないし、ないものをないものとして意識することは原理的に不可能だ。かくして人は後悔する。

 


一つ失うごとに実感するというのに、失ってみないと気づかない幸せには、やはり失ってみないと気づけない。

 


これを繰り返しながら、人間は少しずつ少しずつ優しくなり謙虚になっていく。しかし、少しくらい優しく謙虚になっても、失ってみないと気づかない幸せにはやはり失ってみないと気づけないのだ。