逆を思考する

逆の思考をあえてしようとすることが、常識を疑うことになる。

あるパンがある。パンを食べる。私が確かに食べた。パンはなくなる。パンが元の大きさより小さくなると考えつく。そして、これは、事実だ。

では、逆を思考する。パンが大きくなる。事実に反しているが、ツバが付着したパンは、分裂したもの大きくなったと捉えられるだろうし、分裂しただけで、体内のパンと合わせれば変わらないと捉えられることもできる。

これは、事実かどうか、屁理屈であるかは関係ない。逆の思考が常識を疑い考えを広げるのである。

 

コロナウイルスによる感染者にスポットが当てられているが、感染していない人、コロナウイルスに救われた人はどうなのだろう、と思う。

感染者数が連日ニュースに賑わせているが、感染していない者数を表示したらどうなるだろう。人口から感染者が出るたびひかれていくのだろうか。桁の数が数のインパクトを感染者数より弱めるのではないか。また、出生者数をたし、死亡者をひかねばならない。そうなった時コロナウイルスの死亡者数は視聴者には、どう映るのであろうか。